見つめないで 捕まえないで 迷い込んだバタフライ

 

 

最近気付いたことなんですけど、自分が欲しくて手に入れたものに割とすぐ飽きてしまう

それは実用的な、例えば新しい靴とかカバンとかコスメとかっていう具体的に用途があるものじゃなくて なくてもいいものなんですが、なくてもいいものって使うことがほとんどなくて その結果飽きるということなのだが

でもなくても良くてただかわいいだけのもの、置物とかぬいとかおもちゃの指輪とかってあればあるほどいい気がするんだよ 他人からの好意のように…

だから捨てることもなくただ増えていく

 

そういったものを買うけど、服とか化粧品にはほとんどお金を使ってないので浪費してるというわけではないと思う(そのせいで今、毎日中学のハーフパンツを履いています)けど、このコレクションには終わりがないし、あと親父が物を捨てられない、片付けられないの典型だったので絶対に同じ道を辿りたくないんだよな

かといってあんまり我慢もしたくないんですよね。自分に素直に生きたいから、、、死ぬしか?

ねこちゃんとかも割となくてもいいかわいいものだと思う 一応今迎えることが決まっている状態ではあるんですが、、まあ生きてるものは別かな〜

 

 

 

ブログっておもんない話でも延々としていいらしいです

 

 

 

あ、、、え、、

えのはなししていいですか?

 

絵が下手な自分が死ぬほど嫌いなんですが、今めちゃくちゃに絵が下手でやばい 絵を描かなければ絵が下手な自分になることはないけど絵下手を乗り越えないと絵が上手い自分にもなれない そういう状況にある

情熱と集中力さえあれば下手でも勢いでかけるんだけど、絵に対する情熱があんまりないんだ もともとそんなになかったけども もう今二次しかやってないけど、キャラクターへの気持ちはだいたい絵にしなくても良くなっちゃったし

インスタントに自分に満足したかったんじゃん なんか…絵をやるってめちゃくちゃ臭いですよね ファインアートも創作も二次も これは特定の誰かに言ってるとかではなく漠然と思っていたことなんですけどなんか今更そんな嫌な冷め方をしている やらないけど絵への、あといいと言ってくれたフォローへの執着だけが残っています めっちゃやむ

 

総選挙りあむに2位くらいを掻っ攫って行って欲しいです

 

 

 

 

全く関係のない話です

 

学を辞めてから圧倒的に植物を愛でる心の余裕ができたんですが、最近その花を好きになれた時の感覚が、

スープに他の野菜と一緒に刻まれて入ってる玉ねぎを、避けずに思い切って一緒に食べると案外うまかったとき(小学校低学年当時)の感覚と、酷似していることに気が付いた

 

 

ということを友人に話したら1ミリも理解してもらえませんでした。

いっぱい花がつく木のやつって全部同時には咲かなくて、どれかが満開になるとどれかが茶色くなってたりするじゃないですか。あと虫ついてたり蜘蛛の巣張ってたり、そういう気持ち悪さが昔は苦手でした かなり生き物のこと嫌いだったと思います

何かあって、気持ち悪さも全て含めて花の美しさなのだと思えたんだけど、なんだったのか覚えてない そういうところがってことです

 

 

 

もう終わっといたほうがいい

 

 

 

 

終わり!!!!!!!